敵のミサイル基地を叩く「敵基地攻撃能力」を日本が持つことについて検討するべきだと閣僚や自民党幹部が発言した問題で、公明党の神崎武法代表が後ろ向きな発言をしています。きょうの公明党の外交安保小委員会でも、慎重な意見が相次いだというので、公明党幹部に何人かオフレコで意見をきいてみました。
すると、ほぼ全員が「『座して死を待つ』ことを容認するというものではない」(あたりまえです)といい、「本当にほかに手だてがないなら致し方ない、と判断せざるをえないこともあるだろう」というのです。ある中堅などは「神崎発言は率直にいってちょっと強すぎた感じもする」と打ち明けてくれました。
では、神崎発言に続き、なぜ党として慎重な意見に終始するのかと重ねてたずねたところ、ある幹部は非常に困った表情で、「この種の問題は丁寧に支持者に説明してからでないと誤解を受けがちだ。日本が国際関係上どういう状況にあり、防衛の備えがどこまでのものなのか、従って現段階での最善の方策とは何なのかをきちんと理解してもらったうえでないと、なかなか容認とは言いにくいからだ」と話したのです。
そこでハッと、思い出したのは(公明党を担当していたときに時々感じたことですが)、公明党は支持団体である創価学会の意向を、早め早めに忖度してしまう局面がある、という印象でした。
政党が支持者の意向をくみ取るのは、これまた当然のことですが、こと公明党とその支持団体の関係は、党が多分に「気を回しすぎている」という感じることもままありました。
今回の「敵地攻撃能力」問題にしても、仮に、某国のミサイルが自分の住んでいる町とか、東京の都心に狙いを定めていることが明確になり、燃料注入が終わり次第発射されるのがわかっていていて、防ぐ手だてがないとしたらどうでしょう。日本の持つ「盾」は全国を網羅していないのです。「いざとなれば米国攻撃部門を担当してくれるはずだから」というふうに平静でいられるものでしょうか。「ああ、やっぱり米国のシステムとは別に、自分でも何か備えをしておけばこんなことにはならなかったかもしれない」と後悔するのが、「大衆心理」というものでないかなと思うのです。
さらに言えば、支持団体はつねづね「戦争は絶対反対」という強い姿勢を打ち出す一方で、2~3年前に「平和は自ら創り出すもの」というメッセージを発信し、注目を集めたのも記憶に新しいところです。
にもかかわらず、今回の公明党の対応ぶりは、ちょっと前の「護憲のほとり」にいる、という感じを受けました。もし党が「ほとり」で逡巡するなら、早めに忖度したり結論を急いだりせず、じっくり議論なさってから方針を表明されたほうがいいのでは、と思います。


by nihonhanihon
幻の本